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なぜを問うとは何か?

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なぜを問うとは何か?

因果関係の正体に迫ります。

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なぜを問う。

「どうして?」「なんで?」
日常でも、よくありますが、それ以上に、
予想していなかったことに遭遇した時に人は、なぜを問うのかも知れません。

恋人から突然別れようと言われたとき
上司から解雇を告げられたとき

おそらく、「どうしてですか?」「なんで?」
と問うのではないでしょうか。

それは、原因を探す行為です。
何か(結果)が生じたときに、そのもととなるもの(原因)を探す。
これは人の脳のくせのようです。

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なぜ‐目的

余談になりますが、
なぜを問うことによって、
原因を探すことのほかに、目的を探す場合もあります。

例えば、

なぜ心臓は動いているのか?

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ぱっと思い浮かぶ答えは、
・血液を肺や全身に送るため
でしょうか。
これは、目的を探していることになります。

一方、
・洞結節から発生した電気信号が、電線を伝わり、心臓全体を刺激するから
と答えると、これは原因を探していることになります。

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なぜ風呂上がりに牛乳を飲むとき、腰に手を当てるのか

答えとして、
・腰をのけぞらせるため
とすると、目的を考えています。

この話には余談があります。
牛乳瓶の口のサイズは、一般的な飲み物の飲み口よりも大きく、
そのまま傾けると、飲み口が鼻にあたってしまいます。

そこで、腰をのけぞらせることによって、鼻にあたることなく、
瓶を傾けることを可能にしています。
ここで、腰に手を当てた方が、腰をのけぞらせやすい。
だから、腰に手を当てるのだそうです。

従いまして、
・牛乳瓶の飲み口のサイズが大きいから
と答えると、原因を考えています。

そしてその牛乳瓶のサイズが大きいのはなぜかと考えると、
それはある牛乳瓶のキャップを作っている会社が、そのサイズに統一したから
なのだそうです。

これは、原因でも目的でもなく、ルーツを探しているようなイメージになります。

 

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ここまで、なぜを問うときに、
原因
目的
ルーツ
など、探しているものが様々あるという話をしました。
このあたりの分類はアリストテレスが行っているものが有名ですね。

それでは、ここからは本丸である、原因を考えていきます。

因果関係

原因と結果の関係を因果関係と言います。
この因果関係、もちろん自然界には存在していません。
周りを見渡しても、因果関係は目に見えません。
単に、出来事と出来事が前後関係を伴って連続しているだけです。

つまり、因果関係とは、完全に人の脳の産物です。

またしても余談になりますが、
自然科学は因果関係を明らかにし、発展してきた側面があります。

例えば、
水を加熱する(原因)
水蒸気が発生する(結果)

単純な例ですが、この中にも因果関係が見えます。
しかし、科学者の中には、これは因果関係ではなく、
単に対応関係をまとめただけであるとおっしゃる方もいます。

自然科学者の中でも、因果関係がなにか意見が分かれるところのようです。

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ストーリーとプロット

さて、この因果関係について、イギリスの小説家の考えを紹介して思考を進めていきます。
そこで挙げられている具体例は、
「王が死んだ。その後、女王が死んだ。」
というものです。

これを彼は、単なるストーリーと言います。

一方で、
「王が死んだ。悲しみのあまり女王も死んだ。」
こうなると、これはプロットであると言います。
女王は、王が死んだ悲しみのために(=原因)死んだ(=結果)。
となり、因果関係がはっきりします。

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そして、この因果関係が見えると、人は安心するのです。
「なるほど。それで自ら死を選んでしまったのか」と、
分かった気になる(分かった)のです。

ここは本丸からそれますが、大変重要です。
人が分かったと言うとき、
それは分かった気になったときなのです。

そして、分かった気になるためには、因果関係が見えることが鍵になっているようなのです。

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一般論との合致

ここから、もう一段思考を深めます。
因果関係が見えるといいましたが、
見えた時とはどのようなときなのでしょうか。

例えば、
魔王が死んだ。
世界に平和が訪れた。

これには因果関係が見える方が多いでしょう。

一方で、
台風が近づいている
世界に平和が訪れた

これには因果関係が見えないと思います。

その違いは、
自分の中にある一般論と合致するかどうかがあります。

即ち、
魔王は、人の世界に魔王軍を送り込んで人を殺したりして世界に混迷をもたらしていそうだ。
そして、その魔王が死ねば、世界は混迷から解放され平和が訪れそうだ。
という一般論を持っている人は、
その自分自身の中にある一般論と合致して、因果関係が見え、
分かった気になることができるのです。

一方で、
台風が近づくと、世界が平和になるような一般論は、
持っていない人が多いので、そこには因果関係がみつかりません。
そのため、「?」となるのです。

さきほどの女王の例でいえば、
背後にある一般論は、
愛する人が死んだとき、その悲しみのあまり自らも死を選ぶ人もいるだろう
といったものでしょう。

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それでは、次のクイズを題材に、今の話をおさらいします。

Q.ある村では、必ず雨が降る雨乞いの儀式があります。それはどのような儀式でしょうか。

いかがでしょうか。
クイズに正解することは重要ではありませんが、
答えは、

雨が降るまで踊り続けるという儀式です。


その村の人にとっては、
雨乞いに儀式をした
雨が降った

ここには因果関係があります。
彼らの中の一般論と合致するからです。

一方で、私たちはそこには因果関係が見えません。
私たちが持っている一般論は、
低気圧=上昇気流が生じている。
空気中の水蒸気が上昇とともに冷やされて氷の粒となる。
氷の粒が大きくなると、重くなり下に落ちる。
落ちる中で、温められて水滴となる。
そのようにして、雨が降る
というものです。

そのため、
台風が来たので、
雨が降った
には因果関係が見えますし、分かった気になることができます。

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これは自然現象の例でした。次は、社会現象の例を挙げます。

志摩半島三重県)では、真珠の養殖が盛んです。なぜか?

中学受験をした方は懐かしいでしょうか。
三河湾…のり、うなぎ
瀬戸内海…のり、くるまえび、はまち
宇和海…真珠、はまち
などですね。
養殖の地図を一生懸命覚えたという方もいらっしゃるでしょう。

その際、遠浅で比較的波の穏やかな地域で養殖が盛んですといった解説がなされています。

これは、
遠浅で比較的波が穏やか(=原因)なので、
養殖が盛ん(結果)
という因果関係です。

この説明を説得的だと感じる人は、自然科学的なものを信じている人で、
地理的条件によって社会現象が左右されることは一般的にあるだろうという一般論を持っていると言えそうです。

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一方、次のような原因(ルーツといった方が正確かも知れません)に説得的だと感じる人もいるでしょう。
それは、
御木本さんが不屈の精神で、真珠の養殖を成功させたのが、鳥羽(志摩半島)だった(=原因)ため、
志摩半島では真珠の養殖が盛んです(=結果)。

これを説得的だと感じる人は、
人の気持ちや情熱によって、産業が生まれ伝統となることがあるといった一般論を持っているのだと思います。

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少し一般論というもののイメージがつかめたでしょうか。

以上をまとめますと、
なぜを問うとは、
原因を探すことであり、それは因果関係を見つけることである。
そして、因果関係がみつかるとは、自分自身の中にある一般論と合致することである。
したがって、なぜを問うとは、自分の中の一般論と合致する事実や出来事(=原因)を探すことである
と、これも一旦ではありますが、結論します。

 

長文にお付き合いいただきありがとうございます。