不登校・苦登校支援 フリースクール レイパス

Innovation レイパスの変革

前回見てきたように、学校教育には課題があります。そしてそれが、不登校・苦登校の原因の1つになっているとレイパスは捉えています。つまり、不登校・苦登校の原因は、決して、本人にはありません。そして、お母さん・お父さんにもありません。さらに、学校の先生にもないのです。学校教育が合わなかっただけなのです。この認識から、レイパスは不登校問題に対して、2つの変革を起こします。

 

① 不登校のイメージ変革

大人でも就職先を選ぶ際に、世間体を気にします。思春期の子どもたちであればなおさらです。不登校となり、フリースクールに通うことに対して劣等感を覚える子どもたちもいます(そして親もそう思ってしまうことが多々あります)。「フリースクールに通えばいよいよ本当の不登校になってしまう」「不登校はみじめで、カッコ悪い」「フリースクールは学校よりもレベルが低い」といった声も聞かれます。子どもたちが、不登校をそのように感じてはなりません。

まず、信頼のおけるきちんとした組織で運営しています。また、子どもたちが通っていることを誇りに思えるようなフリースクールにしなければなりません。質の高い学習環境を整え、一生懸命学ぶ。さらに、レイパスのロゴやキャラクターを考えたりしてレイパスを一緒に育てています。

f:id:office-gouhara:20210517081519j:plain

 

② 誰一人取り残さない社会教育

私たちが捉えた学校教育の課題は、当然、教育現場でも把握されており、対処も進んでいます。私たちも学習指導要領を研究させていただきましたが、そこには教育のあるべき姿が表されています。しかしながら、一人ひとりの子どもたちと向き合うには、学校という組織はやや大きすぎるのです。学校の課題を一身に背負った子どもたちには、別の居場所が必要です。それが、学校教育と両立しうる社会教育の役割です。

「怠けているだけだ」「それくらいみんな我慢している」など、不登校・苦登校の子どもたちに対して、批判的な声もあります。しかし、私たちは不登校・苦登校をそのようには捉えません。永い人類の歴史から見れば、極めて特殊な場である“学校教育”に合わなかっただけだと考えます。

 

―本来、学校というのは、平均的な青年にとって十分な意味を持っている。もともと教育という公設機関は、少年や青年というものの平均像を -あくまでもそれを- 基準とし、一定の課程を強制することによって彼らの平均的成長を期待しうるものとして、そのような想定のもとに設置され、運営されている。自然、平凡な学生の成長にとっては学校ほど -どのような学校にせよ- 有意義な存在はないかもしれないが、精神と智能の活動の異常に活発すぎる青年 -天才といっていい- にとっては、この平均化された教授内容や教育的雰囲気というものほど、多くの場合、有害なものはないかもしれない―

『世に棲む日日』司馬遼太郎

 

f:id:office-gouhara:20210517081634j:plain

繰り返しになりますが、不登校・苦登校の原因は、決して、本人にはありません。学校教育が合わなかっただけなのです。

学校教育が合わないのであれば、一人ひとりと向き合う社会教育があればいいのです。それは、学校教育よりももっと不登校・苦登校の子どもたちに合った社会教育です。そして、その下で、子どもたちはその才能を大きく伸ばす。レイパスはそんな社会教育を提供します。

raypass-freeschool.wixsite.com