不登校・苦登校支援 フリースクール レイパス

Vision 学校観(不登校の背景)

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Vision

現場の学校はどのような状況にあるのか、私たちは自分たちの体験と様々な方の知見を合わせて、学校教育の長所を以下の3つの観点から捉えました。

 

① 効率的・効果的な教育

40人一斉授業や全国一律の学習指導要領にみられるように、原則として、子どもたちはあらかじめ決められた学習内容を一方向的に伝達されます。これは学校の成り立ちから考えると、非常に合理的な状態です。

そもそも、近代教育(学校)が登場したのは産業革命以降になります。国としては、産業を興し、国を発展させるため、優秀で均質な労働者を大量に生産することが必要でした。また、工場労働者が増える中で、子どもの面倒を家庭内でみることができなくなり、日中子どもを預かってくれる場所も必要でした。この要請を同時に実現するのが、学校だったわけです。そこでは、効率的に知識を伝達するため、大人数一斉授業が行われ、学習内容も偏りがないように全国で統一されたものとなりました。

 

② 競争

評価の方法には、大きく絶対評価相対評価があります。

絶対評価とは、評価者が絶対的に評価するものです。例を挙げますと、大学のレポートなどでは、教授が読んで「これは、合格!」「これは、不合格!」といったように、教授の中にある基準でジャッジします。

一方、相対評価とは、何かと比べて評価するもので、自分の中で比べる場合と、他者とまたは集団で比べる場合とがあります。自分の中で比べる方法には、過去の自分との比較(自己比較評価)・自分の目標との比較(目標到達度)・自分の中での科目ごとの比較(得意不得意)などがあります。このように評価の方法には様々あります。

しかし、日本で評価といえば、他者との相対評価です。その最たるものが、偏差値や順位付けです。このメリットは大きく2点あり、モチベーションが上がることと、評価として公正ということです。例えば、大学の入学試験において、一生懸命努力した子が報われるという競争システムは、勉強のインセンティブになります。また、点数で順位付けし合否を決めるというシステムは、公正でわかりやすいものです。教授に独断で「うーん、不合格!」と絶対評価されるのは困ります。また、受験者が過去の自分よりもよくなっているので「合格!」と自己比較評価するのも困ります。

 

③ 協調性

協調の伝統は、日本の学校で大変重視されます。“みんな仲良く” “みんなで力を合わせよう”という意見は、美徳として受け入れられます。

では、日本人の協調性を重んじる伝統はどこからきたのでしょうか。

まず日本人のルーツは、農耕民族にあります。農耕民族は、家族やムラで協力して生産活動しなければならなかったため、狩猟民族にルーツを持つアングロサクソンと比べて、協調性が重視されるといわれます。

さらに、中国などほかの農耕民族以上に、日本では協調性が重視されます。その理由は日本の歴史にあるという説があります。

日本人は、縄文人弥生人の混血だとするのが現在の定説です。海の向こうからやってきた弥生人縄文人は受け入れ、また弥生人縄文人と共存することを選んだわけです。これは稀有な例とされています。世界史では、民族と民族とがぶつかったとき、殺しあうか追い出すのが通常です。日本人は、共存し、同一化することを選んだ祖先のDNAを受け継いでいるのです。

 

VisonⅡ

本の学校教育は、能力の高い・勤勉な労働者を育ててきました。そして、その人たちが日本の経済・社会を支えています。日本ではあまり強調されませんが、世界では、日本の教育は成功例として注目されています。

一方で、学校教育にはその特徴ゆえに以下の3つの課題があると考えました。

 

① 自分の頭で考えられない

上述した通り、学校教育では与える教育がメインストリームです。与える教育には、効率的に知識を伝達できるというメリットはありますが、自分の頭で考える習慣が身に付きづらいというデメリットもあります。自分の頭で考えない子どもたちは、次のような行動をとります。

答えを、先生や教科書に求める。わからないことはすぐにインターネットで調べる。次に自分が何を勉強するか、与えられるまで待っている。自分の進路を、周りに合わせたり、親の言う通りにしたりする。正しいことは何か、友達の反応で判断する。みんな(多数決)で決めたことを疑いもなく正しいと思い込む…

 

② 学習意欲の低下

周りと比べる教育の結果、切磋琢磨し向上心を持って勉強できる子どもも多くいます。

一方で、一度つまずくと、成績が下がる→やる気低下→勉強しない→わからない→成績が下がる→やる気低下…という悪循環に陥ってしまいます。さらに、40人一斉授業ですので、わからないまま授業は進んでいきます。わからないものは、面白くありません。

こうして、学年が上がるごとに、学習意欲は低下していきます。「どうせできない」「勉強する意味が分からない」という言葉が、子どもたちから聞かれるようになります。これを学習性無力感(learned helplessness)といいます。

 

③ 少数者・特徴のある子の排除

そもそも“ヒト”には、異質者を排除して群れの団結力を高める本能があります。

同じであることを求め、強い団結力を生み、組織・チームで大きな結果を出す。これは日本人の強みです。ビジネスでもスポーツでも、日本の組織力は世界の第一級です。

しかし、この同じであることを求める空気が、異質者の排除として働き、特に学校や会社といった閉鎖空間では、いじめという形で問題となります。一時期、「KY」という言葉が流行りました。これは、空気を読めないという意味で、KYであればいじめられても仕方がないというのが子どもたちの理論でした。また、教師も“みんなで力を合わせて”  “みんな仲良く”を求めます。これは、子どもたちにとって、ある一面ではストレスとなります。どうしても仲良くできない相手はいるものです。その場合、双方適切な距離をとればよいのですが、学校には“みんな仲良く”という金科玉条があり、さらに学級という物理的な制約から距離をとることも難しいのです。この状況で、少数者や特徴のある子、目立つ子がターゲットとなり、いじめが行われます。いじめが成功しターゲットが排除されれば、次のターゲットを見つけて排除する……これを繰り返します。その結果、学校に残った子どもたちの団結力・協調性は高まります。この様子を「人が怪物になる」と表現する識者もいます。

 

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以上見てきたように、学校教育には課題があります。そしてそれが、不登校・苦登校の原因の1つになっているとレイパスは捉えています。つまり、不登校・苦登校の原因は、決して、本人にはありません。そして、お母さん・お父さんにもありません。さらに、学校の先生にもないのです。学校教育が合わなかっただけなのです。